介護保険~特集記事をみて~

昨日のA新聞社の特集記事「介護保険 きしむ約束」を拝見しました。かつては「家でみるのが美風」から「社会全体で担う」意識に変化していく過程を以下のようにまとめられていました。

  • 1.介護保険が始まった当初から利用者数を比べると3倍以上に急増している。
  • 2.高齢者が払う介護保険料は、2911円→5869円(全国平均の月額)と値上げされている。
  • 3.同居する主な介護者は「嫁」が減り、男性・「老老」が増えてる。
  •  介護が必要な高齢者を家族任せにせず、社会全体で支える「介護の社会化」を掲げて誕生した介護保険は、人々の暮らしも意識も変えた。しかし今、世界一の超高齢化と人口減少が同時に進むこの国で、その理念と約束が揺らぐ。介護をどう支えるか。

 介護保険の基本骨格を検討した厚生省の研究会に参加した評論家の方は、「介護保険はよくやってきたと思いますが、今後は家族がいない高齢者が増える。ファミリーレス社会になります。介護職員は足りません。このまま進めば、ケアする人がいない家で、野たれ死にならぬ「家たれ死」する要介護者が続出する。担い手枯渇、負担増の限界で介護保険は破綻する。その危機感が政府にも不足している。介護職員の待遇改善は不可欠だし、高齢者や外国人も貴重な人材です。それでも足りない場合は、期間を限定したうえで、中高年や学生ら幅広い国民に介護の支え手になってもらうのです。ケアは社会の循環のために必要な営みです。」

このような記事を読んでみて、不足している視点はありませんか?

私は支え手側からの視点が不足していると思いました。

 私は、介護保険制度が始まるころ姫路市役所の国民健康保険課で事務補助をしていました。各課から介護保険課に異動し、全くの素人集団のはじまりで介護保険制度がスタートしたのです。そして20年経って今、この制度の維持が問題になってきています。評論家の方がおっしゃるように担い手が足りないなら、門戸を広くして支えていく制度を作ればよいと思われる方も多いと思います。

しかし、考えてみてください。20年前、介護保険制度、サービスを急速に広めようとして、それまでは厳格であった制限が緩和され、法人格があればヘルパーステーションや訪問看護ステーション、デイサービスや高齢者サービス付き住宅など異業種他職種業者が雨後の筍のごとくサービス運営に参入しました。サービス選択が広がることは喜ばしいことですが、その一方で十分な教育や資格を得ることなくサービス提供をする業者が増えました。

この度、訪問看護ステーションを運営して感じることがあります。それは「やっぱり、量より質」です。国家資格をもったスタッフが適切なサービスを実施する。利用者様はそれに対する対価を支払う。中には負担金集金の際に「先生、こんな安くでええの?」と、気遣ってくださる利用者様もいます。支払う金額以上のサービスを受けていれば苦情や不満が出ることは少ないと思います。

 介護保険制度の矛盾していると思えるひとつは、有資格者と無資格者が混在してサービスを提供し報酬を得ているところです。また先の教育など充分な資質を得ずに業務を行う業者がいることです。「資本を投下できる業者であれば質は二の次」でよいのでしょうか?

高齢者が中身を正確に判断してサービスを受けることは難しいと思います。それを代行するのが介護支援専門員ですが、こちらも質の問題、特に医療との連携ができていないという指摘は介護保険設立当初から課題であり、今回の報酬改定においても第一に解決すべき課題とされていました。業者やサービスの質に対する不満が制度や政府に向かうのです。声高な人の意見に押され、末端でサービスを提供するあるいはそのサービスを受ける当事者とはなにか違った方向へ制度改正が進んでいってしまう。そんな気がします。

 ある利用者様は「値はただとらん!」と、よくおっしゃいます。本当に価値のあるサービスに対しては自費が出ても受けたいともおっしゃいます。やはり「質」が大事ではないでしょうか。誰しも心ある適切なサービスを受けたいと願っています。国家資格者と充分な教育や指導を受けない者とは経験や技術、知識が違うと思いますし、利用者様もそのように感じられています。いたずらに「量」を増やす、その場しのぎの対応では、負担ばかり増える国民は不満を抱えることになるでしょう。誰のためのそして何のための介護保険制度なのか。

もう一度利用者の視線とそれに応えるべき業務提供者とは何か?を深く考える時期が来ていると感じます。